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自然、文化、伝統のダイナミズム。 佐渡で持続可能性を学ぶ。

    新潟県沖に浮かぶ、日本海側最大の離島、佐渡島。約855㎢(東京23区の約1.4倍)の広大な面積の中には、日本ジオパークにも認定される豊かな自然と生態系、それがもたらす豊かな食文化が魅力です。この豊かな環境を守り、次世代へと継承すべく、持続可能性への取り組みを積極的に推進しています。

    佐渡が歩んだ独自の歴史も魅力です。かつて流罪となった貴族が伝えた都の貴族文化、鉱山の発展で奉行や役人が江戸から持ち込んだ武家文化、北前船で商人や船乗りが運んだ町人文化の3つが融合し育まれた文化は、日本の伝統文化について考えるきっかけを与えてくれます。

    豊かな自然、貴族・武家・町人の3つの文化、そして食文化の揃った佐渡は「日本の縮図」とも言われています。

  • 自然環境だけでなく、 文化芸能の持続可能性にも取り組む

    「朱鷺(トキ)」の保護活動でも知られる佐渡。豊かな自然を持続させようと、全島で脱炭素宣言を実施し、2021年には『世界の持続可能な観光地トップ100』にも選ばれています。

  • 持続可能性への取り組みは、自然環境の保護にとどまらず、文化や芸能の継承面でも行われています。
    「佐渡には、昔から継承されている文化や芸能を生活に落とし込んでいこうと、地元に住む方たちが持続可能な形で文化を継承しているという面があります。佐渡をめぐっていただくことで、継承の取り組みを実際に見て、触れて、体験していただくことができるのではないでしょうか」と話すのは、佐渡観光交流機構のウィロビー晃恵さん。

    佐渡を訪れる外国人観光客を案内する通訳案内士としても活動するウィロビーさん。外国人観光客から、ある共通の感想を聞くことが多いといいます。それは「佐渡にはAuthentic(本物)の魅力がある」ということ。「もちろん、東京や京都など、日本の主要観光地でも日本らしさは感じられるのですが、佐渡を訪れると、『より人々の生活に近いかたちで(日本の)民族文化が感じられる』というご意見をおっしゃる方が多くいらっしゃいます」とウィロビーさん。

  • 順徳天皇、日蓮、世阿弥などの流人がもたらした都の文化が、いまも受け継がれています。佐渡金山が栄えた江戸時代に、奉行所の役人たちの教養娯楽であった能は、次第に民衆へと広がっていきました。農家の方達が農作業の際に謡曲を口ずさむほど人々の暮らしに根付いたものとなり、「庶民の能」として浸透しました。日本全国の能舞台のおよそ3分の2が佐渡市内に存在することも、佐渡における能の受容を物語っています。

  • 佐渡に響き続ける、魂の音色 鬼太鼓と鼓童

    佐渡を代表する文化・芸能といえば、「鬼太鼓(おにだいこ、おんでこ)」があります。
    18世紀ごろに成立したと言われる神事で、鬼、獅子のほか、太鼓などの楽器が組み合わさり、五穀豊穣、大漁、家内安全などを祈りながら集落の家々をめぐります。共通の型やきまりのある踊りかと思いきや、よく見ると鬼の手のひらの返し方や、足の返し方など、鬼によって全く異なります。「同じ踊りはひとつとしてない」と言われるほどオリジナリティあふれる、多彩な踊りなのです。先輩から後輩へと長い年月をかけて受け継がれてきた神事であるとともに、各集落の誇りを体現する場でもあります。

  • 「佐渡の太鼓」といえば、欠かすことのできないのが、佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団「鼓童」の存在です。1981年のベルリン芸術祭でのデビュー以来、50以上の国と地域で7,000回を超える公演を開催。「多様な文化や生き方が響き合うひとつの地球」をテーマとした「ワン・アース・ツアー」をはじめ、佐渡島内では国際芸術祭「アースセレブレーション」を毎年開催(佐渡市との共催)するなど、佐渡内外で活躍する芸能集団です。

    一度、その迫力ある舞台を体験すれば、身体の奥まで響き渡ってくるかのような太鼓の音に圧倒されるはず。

  • 鼓童の代表をつとめるのは、船橋裕一郎さん。1998年に鼓童研修所入所後、2001年より舞台に参加し、太鼓、鳴り物、唄などを担当。2016年に代表に就任。舞台の第一線に立つプレイヤーであるとともに、演出も手がけています。

    神奈川県出身の船橋さん。学生時代に太鼓と出会い、その魅力にすっかり魅了されたと話します。

  • 「鼓童」という名前を紐解くと、その名前自体に太鼓に対する深い思いが込められていることがわかります。「鼓」は人間にとって基本的なリズムである心臓の鼓動から音(おん)をとり、大太鼓の響きが母親の胎内で聞いた最初の音(心音)を想起させることによるもの。「童(わらべ)」の文字には「子どものように、何ものにもとらわれることなく無心に太鼓を叩いていきたい」との願いが込められているのだといいます。

    「太鼓は『叩けば音が出る』という、とてもシンプルな楽器です。しかし、その響きは多彩で多様です。素材は木や牛皮など自然由来のものなので、一つとして同じ音になりません。同じ形をしていても、まったく同じ音にはならないことがとても面白いんです。そして、打つ人によって異なる、様々な音色が出てきます」と船橋さん。

  • 次世代に太鼓の楽しさを伝え、芸能や文化を繋ぐためのプロジェクトも積極的に展開しています。
    1997年に財団法人鼓童文化財団を設立し、ワークショップの開催、次代を担う人材を育てる鼓童文化財団研修所の運営、佐渡太鼓体験交流館(たたこう館)の運営、伝統芸能・文化に関する調査・研究者への支援活動などを実施。また、長年、修学旅行の受け入れを継続してきました。

    「まず私自身が、鼓童と佐渡を通じて、太鼓を叩くことの面白さはもちろん、『日本各地にはこんなにも素晴らしい伝統芸能・伝統文化があるんだ』ということを学ぶことができました。そうした自分自身の経験を若い世代のみなさんにもお伝えできたら嬉しいですね」と船橋さん。

  • 佐渡のみならず、日本全国で長い年月をかけて受け継がれてきた「太鼓」という楽器。「古来から人間にとって必要なものだったからこそ、大切に受け継がれてきたのではないか」と船橋さん。事実、太鼓は日本各地で音楽のみならず、祭礼、信号具としても使われてきた歴史があります。「鼓童」を通じて、太鼓という楽器の奥にある、日本の伝統文化や芸能の奥深さを学ぶ機会になるはずです。

  • 佐渡南部、小木半島にある宿根木(しゅくねぎ)地区へ。佐渡金山が栄えた江戸時代(17世紀)を経て、北前船の寄港地としても発展した入り江の集落です。複雑に入り組んだ迷路のような路地に、100棟を超える板壁の民家が軒を連ねています。船のような形をした家屋が存在するなど、船大工の技術が結集した宿根木の町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

  • 小木半島の海岸部を訪れると、ゴツゴツした岩の間を縫うようにして進む、小さな丸い形状をした船が見えることがあります。これは「たらい舟」と呼ばれる、佐渡特有の小型船。

    喫水が浅く、小回りの効くたらい舟は、岩礁の多い水域での操業に適しています。櫂(かい、オール)1本で操船することができるうえ小型軽量で持ち運びが容易。漁船としてとても機能的なのです。熟練の船頭は、すいすいと自在に操作することができます。「たらい舟体験 佐渡宿根木はんぎり」で観光用たらい船の船頭を務める金子啓次さんもそのひとり。

    かつては日本各地の沿岸で使われていたと言われますが、次第にその数を減らし、いまでは佐渡だけでしか見ることができなくなりました。小木半島でたらい舟が使われるようになったのは、19世紀初頭からといわれています。

  • 宿根木地区では、たらい船のことを「はんぎり」と呼びます。「小木半島全域に広がる岩礁地形は、1802年に起きた佐渡小木地震により、海底から数メートル隆起して出来上がったものと考えられています。その影響で、通常の船が使えない状況になってしまいました。漁を続けるべく、背の高い桶を半分に切って使ったことから『はんぎり』という名前になったと言われます」と金子さん。

    最盛期は多くのたらい舟職人が存在した小木地区ですが、次第にその数は減少。一旦は製造できる職人がいなくなってしまいました(※)。たらい舟の文化を途絶えさせまいと「はんぎり」によるクルージングを事業化。クルージングだけでなく、手づくりで舟の製造もおこなっており、たらい舟文化の継承につとめています。

    (※)ダグラス・ブルックス「佐渡のたらい舟: 職人の技法 (鼓童叢書 1)」

  • 漕ぎ出せば、そこにあるのは防波堤のない広大な海と、迫力ある小木半島の雄大な景色。
    半径1メートルほどの小さな空間で30分から1時間、時をともにする体験ーー。

    「クルーズを体験したお客さんの中には、まるで異世界に迷い込んだみたい!なんておっしゃる方もいましたね」と金子さん。

    「小さなたらいですが、人と自然を結びつけるだけでなく、人と人との交流を深める不思議な力を持っていると思うんです」と金子さんは話してくれました。

  • ゴールドラッシュで大きく変貌した 佐渡の人々の生活と文化

    佐渡の歴史と文化を語る上で外すことができないのが、金山の存在です。佐渡島内には、金・銀山をはじめとする55の鉱山があります。相川金銀山のほか鶴子銀山、西三川砂金山など島内のおもな鉱山を総称して「佐渡金銀山」と呼びます。佐渡金銀山は、江戸時代からの400年間に金78トン、銀2,330トンを産出し、日本最大の金銀山として国内外の経済に大きな影響を与えました。

  • 相川京町通り

    佐渡金銀山は徳川幕府の財政を支えただけでなく、佐渡の文化や芸能、そして生活自体にも大きな影響を与えたといわれています。金山の隆盛により佐渡島外から急激に流入し、最大の金銀山がある相川エリアの人口は最盛期(17世紀前半)には5万人を超えるなど、日本有数の大都市に発展しました。

    増加する人口を支えるため、農地面積も急激に増加。佐渡全体に影響を与え、人々の暮らしが大きく変容したと言われています。

  • 佐渡金山の諸史跡・遺構や「佐渡金銀山ガイダンス施設 きらりうむ佐渡」を訪れれば、金山がいかに佐渡の歴史と文化に大きな影響を与えたのかを学ぶことができます。

    自然、歴史、文化が時を超えてシンクロする、不思議な魅力の詰まった島、佐渡。
    豊かな自然や伝統文化が今も残っているのは、佐渡に生きる人々が大切にし、次の世代へと継承してきたからに他なりません。自然環境だけでなく「伝統や文化を大切に継承すること」についても学びを深められる機会になるはずです。

体験は価値

価値とは忘れられない

景色と時間と温度

すべての子供たちへ

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