みなとまち新潟を、魅力あふれるガイドと一緒に探求。 まちあるきの楽しみと、地域を楽しく探求する術を学ぶ。
新潟市の中心部には、国の重要文化財をはじめ、県や市の指定文化財が点在します。そんな新潟をさまざまな角度から「まち歩きコース」にまとめた約2時間の散策で新潟の魅力をたっぷり教えてくれるのが「新潟シティガイド」のみなさん。
「県外にお住まいの方からすると、『新潟』に対するイメージは『お米やお酒くらいしか浮かばない』という方が多いかもしれません。でも、新潟のまちって、実はとても歴史が深いまちなんだよといったことをお伝えできれば嬉しいですね」と話すのは、新潟シティガイドの小野塚昭美さん。長く下町エリアの案内役をつとめてきた、人気のガイドのひとりです。
「新潟には、湊町の歴史が今も残っている」ーー。
そのことがよくわかるのが、まちあるきです。歴史資料や教科書に出てくる場所を実際に自分の足で見て回れるのが、新潟のまちあるきのすばらしいところ。資料を片手に、とてもわかりやすく、そして楽しく教えてくれます。
「はい、まさに、ここです!」と手持ちの資料をめくる小野塚さん。
旧税関庁舎。まだ西洋建築が珍しかった明治初期。新潟の大工が作り上げた「擬洋風建築」と呼ばれる建造物で、開港五港(函館・新潟・横浜・神戸・ 長崎)の中で唯一現存する遺構です。
「かつてはここに何々があったと、『今は無いもの』についてのお話ではなく「今まさにみなささんがいる、ここです!」などと紹介できるようなスポットが新潟にはいくつも残されているんです」と小野塚さん。
-
「みなとぴあ」で 新潟市の歴史を学ぶ
まちあるきのスタートは「新潟市歴史博物館みなとぴあ」から。日本一の大河・信濃川の河口部近くに位置する歴史博物館です。新潟の歴史に関する貴重な資料が数多く展示されています。
かつて日本海には多くの北前船が行き交い、港のあった新潟市は大いに賑わいました。幕末明治期には開港五港として世界に開かれるなど、教科書にも載る歴史の舞台でもありました。そうした新潟の港町の歴史を深く知ることができます。
「新潟は、今も多くの史跡が残っています。実際に巡る前に、まずはこちらのみなとぴあ新潟歴史博物館へ訪れていただくと、より一層わかりやすくなると思います」と小野塚さん。
一連の展示物をみて回ると、新潟の地形や砂丘、砂防林、そして北前船や開港五港の歴史にまつわる展示を通じて、新潟のまちの風景のひとつひとつが「ただの風景」ではなく、実はとても深い意味を持っていることに気づかされます。
-
今回、館内を案内してくれたのは、同館の副館長をつとめる小林隆幸さん。参加者から感嘆の声があがるシーンがいくつもありました。
「みなさんが今立っていらっしゃる場所、つまり『みなとぴあ』は、この絵の中ではどこにあたると思いますか?ここなんです」
そう言って小林さんが指さしたのは、江戸末期の新潟島を描いた絵画。多くの帆船が行き交う、往時の新潟港を描いたものです。指先は、川の中を指しているように見えます。実は、今でこそ陸地になっているみなとぴあ周辺は、江戸末期には川の底。昭和にはいってから埋め立てられた新しい土地でした。同様に、今はビルが建つ古町エリアの道路なども、かつては川や堀(ほり)であったりと、驚きの事実が浮かび上がってきます。
「わずか100年の間でも、まちの姿が大きく変わっているのです。県外から教育旅行でお越しになる生徒さん、引率の先生方はもちろんのこと、新潟市内のみなさんからも 『自分たちの住む地域とはいえ知らないことばかりだった』といった声をいただくこともあります。時代とともに変化してきた新潟の歴史の特徴を掴んでいただけるのではないかと思います」と小林さん。
-
水とともに生きてきた新潟 自然との共生を学ぶ
一方、新潟市の歴史は、水と共生してきた歴史もあります。
「新潟には、川などの自然に抗いながら町の機能を維持し、人々が暮らしを続けてきたという歴史があります。まちなかに目をやると、表面から見ただけではわからない要素がいくつもあるんです。たとえば、博物館のすぐ横を流れる信濃川。河口では、浚渫(しゅんせつ)といって、川が上流から運んできた土を取り除いてあげる作業をしなければ、そもそも船が入れなくなってしまうんですね」と小林さん。
また、今でこそ新潟市の平野部には綺麗な田んぼが広がっていますが、そもそも蒲原平野(越後平野)は、昔から多くの場所が低地にあたり、中には海抜0メートル以下の低地、低湿地も多くあり、そのままでは稲作には適さない土地でした。現在では巨大な排水施設を使って水位調節を行うことで「米どころ新潟」を守っているのです。
川や海などの自然環境と共生し、たくましく生き抜いてきた「水との共生の歴史」についても学ぶことができます。
-
下町エリアをあるき、 今も残るみなとまちの風情を感じる
「みなとぴあ」で歴史について学んだ後は、歴史の舞台となった新潟の中心エリアを実際に歩いてみましょう。今回のコースでご紹介するのは「下町(しもまち)」エリアです。
下町は新潟島の信濃川河口流域一帯のことを指し、新潟市の中でもとくに歴史が古く、湊町として栄えてきました。下町には、町屋や回船問屋などの古い建物が今も数多く残っており、北前船が寄港していた当時(江戸時代)の様子をうかがい知ることができるスポットがいくつも残っています。
中でも小野塚さんのお気に入りのひとつが「湊稲荷神社」。全国的にもたいへん珍しい「回せるこま犬」があることでも知られています。それには、湊町ならではの理由があるのですが、実際の説明はぜひ現地で聞いてみてください。
-
湊稲荷神社を跡にし、歩を進めると、なんだか足取りが少し重くなってきた気がします。「みなさん、実は今、『登山』をしているんですよ!」と小野塚さん。
目線の先にあるのは「日和山」。標高12.3メートルの砂丘の小山です。かつては海上航行を司る水先案内人「水戸教」の場でもありました。頂上には、方角を示す方角石が安置されており、往時の姿をしのばせます。
こうした日和山は新潟だけでなく、日本各地にありました。もしかすると、自分が住む町にもあるかもしれません。
-
「自分のまちの魅力に気づき、楽しみ、発信する」こと。 地域の魅力を発信する方法を学ぶ機会にも
新潟のまちの魅力をとても楽しく教えてくれる小野塚さん。彼女には、まちあるきの「師匠」ともいうべき人物がいます。野内隆裕さん(写真左)です。
まちあるきグループ「路地連新潟」のメンバーとして2007年より新潟市と共に、地元の歴史を巡る案内板「にいがた お宝案内板」や、まちあるきマップ「新潟の町・小路めぐり」「新潟下町あるき 日和山登山のしおり」などの制作に携わりました。
テレビ番組にも出演するなど、新潟のまちあるきの第一人者として活躍しています。
-
先ほど訪れた日和山は江戸時代、みなとを見渡す場所、天候を観測する場所、まちを見渡す名所として、にぎわっていました。しかし、地形の変化等によって忘れられ、荒廃していましたが、「みなとまち新潟のシンボルを復活させよう」という地元有志と新潟大学、新潟市によって構成された「日和山委員会」によって2009年、整備されました。現在はまちあるきの拠点として、多くの人が訪れる観光名所として復活しました。
-
2017年に新潟市は、文化庁の日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に選出され、その構成文化財に「日和山」も選ばれました。また最近は小学5年生の理科の教科書(学校図書)にも天候を観測する場所として掲載されるなど、みなとまち新潟のことを未来に伝える拠点にもなっています。
「自分の住むまちの魅力を伝えるためには、その魅力をまず自分自身が心から楽しむことが大切なのではないでしょうか。身近なものごとに目を向け、まずは自分自身で楽しむことが大切なのではないかと思います。新潟散策で感じたことを持ち帰り、自分のまちの魅力や素晴らしさを、自分の手で考えたり、発信することにもつながるのではないかと思います」と野内さん。
-
新潟というまちを知り尽くし、深く愛する大人たち。
今回の記事でご紹介した以外にも、新潟には素敵なナビゲーターがたくさんいます。
彼らの導きによって、みなとまち新潟について楽しく学びながら、シビックプライドを醸成する機会にもなるのではないでしょうか。
-
200年続く花街の文化を継承し、守りつづける古町花街 伝統芸能・文化を守り伝えていく大切さを学ぶ。
新潟には、湊町ならではの、独自の伝統文化があります。それが古町芸妓(ふるまちげいぎ)。江戸時代から200年以上にわたり受け継がれてきた、新潟の大切な文化のひとつです。
2日目の「古町花街文化体験」コースでは、古町芸妓について学ぶことで、日本の花街文化、伝統芸能としての芸妓文化を学んでいきます。芸妓文化・日本舞踊と切っても切れないのが着物。着物文化は襖や障子といった日本特有の住居にも深く関係しています。着物や日本家屋など、日本文化そのものについての学びを深める機会にもなります。
最盛期には数百人もの芸妓を抱える一大花街であった古町ですが、時代が進むにつれて、その数は激減。古町花街の文化を継承するべく1987年に柳都振興株式会社として法人化。芸妓の養成と文化継承に取り組んでいます。取り組みを通じて、伝統芸能の魅力を学ぶことはもちろん、課題解決に向けた取り組みについても学びを得る機会になります。
-
■この記事のモデルコースを見る